南佳孝の真のデビューアルバム『忘れられた夏』に聴く名うてのミュージシャンたちの素晴らしきアンサンブル

2021年6月16日 / 18:00

2001年に発表されたジャズスタンダードをカバーしたアルバム『NUDE VOICE』が6月23日に再発されると聞いて、今週は南佳孝の作品をピックアップ。担当編集者からは『摩天楼ヒロイン』『SOUTH OF THE BORDER』『冒険王』などもいいのではないか…との推しもあったし、郷ひろみのカバー曲も有名な「Monroe Walk」が収録された『SPEAK LOW』、あるいはスマッシュヒットした「スローなブギにしてくれ (I want you)」の『SILKSCREEN』収録もあるかな…と思ったが、ここは本人が“本当のデビューアルバム”という2ndアルバム『忘れられた夏』に決めてみた。
デビューは邦楽シーンの端境期

これは相当に自由な精神が発揮されたアルバムであろう。それが『忘れられた夏』を聴いての率直な印象だ。作者の証言をつぶさに集めたわけではないけれど、制作後の南佳孝の満足度は相当に高かったに違いない。メロディー、歌詞、サウンドメイクもさることながら、歌や演奏からそれが手に取るように感じられる。音像が活き活きしていると言ったらいいだろうか。録音状態も良かったのだろうし、その上で音数を必要最低限に抑えていたからでもあろうが、各パートの音がとてもクリアーで、それぞれの個性的なプレイの絡み合い、いわゆるバンドアンサンブルによって楽曲が構成されていることがよく分かる。ヴォーカルもとてもいい。南自身はギタリストを目指しており、シンガーソングライターとしてデビューすることになってからも、表に出ることなく、作曲家としてやっていくことを希望していたそうだが、本作での歌唱を聴く限りでも、プロの送り手ならこのヴォーカリストを放っておくことはないだろう。それほどに氏の歌声は艶っぽく、オリジナリティーがある。

のちのシンガーを例に挙げると、(誤解を恐れずに言うけれども)スガ シカオっぽくもあるし、ハナレグミっぽくもありつつ、それでいて高音に抜ける音域では、南佳孝の声としか言いようのないシャープさを見せる。しかも本作でのヴォーカルテイクは、全体的にいい意味で肩の力が抜けた感じというか、決してリラックスしていたわけではなかっただろうが、実にいい塩梅だ。収録曲個々の特徴に関しては後述するけれども、この活き活きとした音像だけで、名盤認定で間違いなしの『忘れられた夏』である。凡そ半世紀前の作品とは思えない…という言い方が適切かどうか分からないし、もしかすると凡そ半世紀前だったからこういう作品ができた…と言えるのかもしれない。そんなことも思ったりした。というわけで、まずは本作がリリースされた1976年の前後の日本の音楽シーンがどうであったのかを調べてみた。

当時の大勢を理解するには、年間チャートや音楽賞を参考にすると分かりやすいよう思う。1976年の年間シングルチャートは以下の通り。

1位:子門真人「およげ!たいやきくん」、2位 ダニエル・ブーン「ビューティフル・サンデー」、3位:都はるみ「北の宿から」、4位 太田裕美:「木綿のハンカチーフ」、5位 二葉百合子:「岸壁の母」。

続いて、年間アルバムチャート。

1位:オムニバス『およげ!たいやきくん』、2位:グレープ『グレープ・ライブ 三年坂』、3位:荒井由実『YUMING BRAND』、4位:井上陽水『招待状のないショー』、5位:荒井由実『COBALT HOUR』。

『忘れられた夏』が発売された1976年は「およげ!たいやきくん」がまさに爆発的にヒットした年であった(ちなみに同曲は実際には500万枚以上を売り上げたと言われている日本で最も売れたシングル曲であって、その記録はおそらくこれからも破られることはないであろう)。アルバムチャートもその影響をもろに受けた格好だろう。

おもしろいのは、シングルチャートでは演歌が上位に顔を見せている一方で、アルバムチャート上位はフォーク、ポップス、ロックで占められていること。この前年の1975年に、井上陽水のアルバム『氷の世界』が日本のアルバム史上、初めてミリオンセラーを記録したり、同年にシングル「あの日にかえりたい」が初のチャート1位となって荒井由実がブームとなったことも、影響したのだろうか。シングルとアルバムではその性格が分かれていたことが、なかなか面白い。1976年の音楽賞は…というと、日本レコード大賞、日本有線大賞、全日本有線放送大賞、日本歌謡大賞、FNS歌謡祭等々、大賞やグランプリは都はるみ「北の宿から」が独占。お茶の間での人気はまだまだ演歌が強かったことがうかがえる。

こののちに国民的な人気を獲得するピンクレディーがデビューしたのもこの年で、それでいて(?)、ゴダイゴがデビューしていたり、浜田省吾や山下達郎のソロ活動がスタートしていたりと、どこか混沌としていた…というと言葉が悪いけれども、のちのロック、ポップス隆盛の時代への端境期の始まりだったと見ることもできるのではないかと思う。『忘れられた夏』がリリースされた後、レコード会社のスタッフが有線放送局にプロモーションに訪れた先、ある人から“この声は演歌向きだから、この人に演歌を歌わせなさい”と言われたという逸話が残っているそうだ。そう言った人に悪気はなかったのだろう。演歌のほうがビジネスになるからと当時としては真っ当なアドバイスだったに違いない。つまり、1976年とはそんな時代だったのだ。
伝説的プレイヤーたちの共演

アルバム『忘れられた夏』のオープニングはポップで明るい雰囲気のM1「これで準備OK」。ファンキーなリズムと、ギターのカッティングが印象的なソウルナンバーだ。先に述べたように、個々の音が踊っているかのように鳴っており、それが折り重なって楽曲を構成している。キャッチーな歌メロもさることながら、間奏で嘶くサックス、アウトロ近くでのエレキギター、エレキピアノの旋律も耳を惹くし、楽曲を根底で支えているベースラインも個性的である。バンドメンバーは、鈴木茂(Gu)、小原 礼(Ba)、林 立夫(Dr)、佐藤 博(Key)、浜口茂外也(Per)に、南を加えた面子。サックスはJake H. Concepcion(Sax)で、ホーンセクションはそのJake率いるグループが担当している。音楽ファンには上記メンバーの説明は不要だろう。1970年代、キャラメル・ママからティン・パン・アレーへとバンド名を変えたグループのメンバー、サディスティック・ミカ・バンドのベーシスト、そして“King of Sax”と言われたサクソフォン奏者である。今となってみれば、伝説的プレイヤーの共演である。活き活きとした演奏になっているのは当たり前と言っていい。当時、ほとんどのメンバーが20代前半ではあったが、流石の演奏を響かせている。そのはつらつした感じは歌詞からも感じられる。

《つまらない事は シャワーで洗い流して/オーデコロンをたっぷり体になじませて》《鏡の前でヘアーリキッドふって/リーゼントにくしを入れ》《だけどおニューのくつが見つからない》《おろしたてのスーツに体を包み込み/これで準備OK オンボロ車で飛び出せ》(M1「これで準備OK」)。

本作『忘れられた夏』は南佳孝の2ndアルバムであって、これが彼のデビュー作ではない。1stアルバムは1973年の『摩天楼のヒロイン』。1stから2ndまでは実に3年のインターバルを要している。これには、前述した南本人がシンガーとして表に出ることを望まなかったからだとか、1stのセールスが芳しくなかったからだとか、諸説あるようだが(多分どちらも…だろうが)、いずれにしても本作が心機一転のタイミングで発表する作品であったのは事実だろう。先行シングルとしてもリリースされたM1「これで準備OK」は、サウンド、歌詞の両面から見てもオープニングナンバーに相応しい。続くM2「ジャングル・ジム・ランド」はラテンを感じさせるファンキーなナンバー。M1と同じバンドメンバーで、これまた独特のアンサンブルを展開している。

M3「ブルーズでも歌って」は文字通りのブルースであり、一転、ミドルテンポに雰囲気が変わるが、バンドメンバーもチェンジ。佐藤 博、Jakeを除いて、直居隆雄(Gu)、稲葉国光(Ba)、宮沢昭一(Dr)といったジャズメンに加えて、シンセ(※正確には“Moog”とクレジットされている)を矢野 誠(Key)が務めている。ブルースとはいえ、音像はやはりジャズテイストが強めというか、都会的な仕上がりと言える。とりわけ間奏のサックスがムーディだ。M4「眠りの島」、M5「忘れられた夏」も上記メンバーに乾 裕樹(Key)、浜口茂外也、M4では鈴木告(Trb)が加わり、アダルトで落ち着いたサウンドを響かせる。ムード歌謡的な空気感を漂わせつつ、サビで異国的な雰囲気が醸し出されるという、何とも不思議なM4。幻想的なエレピ、サビに重なる箇所で一風変わったエフェクトを聴かせるギターと、音色のセレクトも興味深いM5。ともにゆったりと聴かせるだけでなく、サウンドの妙味も示している。名うてのミュージシャンを司りつつ、アンサンブルに留まらず、独自のフレイバーを注入しているのは、南佳孝のアーティストとしての面目躍如と言っていいだろう。
絶妙な演奏とオリジナリティー

M6「月夜の晩には」、M7「ヤシの木の下で」、M8「静かな昼下り」は、件のティン・パン・アレー+サディスティック・ミカ・バンドのメンバーが担当。M6はサンバ、M7はレゲエ、M8はブルース調と、タイプは異なるものの、このメンバーならではと言っていい絶妙な演奏を聴かせてくれる。特に注目するとなるとM6だろうか。サンバホイッスル~ファンキーなベースラインから始まる、紛うことなきサンバなのであるが、全然馬鹿っぽくない。ちゃんとアーバンな空気感のサンバになっていて、それでいて、ドラムとパーカッションとはしっかり情熱的という──こうして文章にすると、自分で書いていても何を言っているのかよく分からない感じになってしまうけれど、そんなオリジナリティーを感じさせるナンバーであることを強調しておきたい。

M9「ひとつの別れ」はM4の面子で奏でるミドルテンポのナンバー。ここでもギターのエフェクトが印象的だったりもするが、歌詞の世界観を損ねない、極めて抑制の効いたアレンジが素晴らしい。演奏しているメンバーも流石であることは言うまでもない。M10「これで準備OK(inst)」はM1のインストで、メンバーもM1とまったく同じ。アルバムの最初と最後に同じ曲を置くというのはよくある手法ではあるけれども、シンガーソングライターの作品でラストにインストを(しかも歌を除いて演奏はほぼ同じものを)配するというのは、南佳孝にとって、このメンバーとのレコーディングに相当な好感触を得たからであったことは言うまでもなかろう。また、こういうことをするには当時は異例だったように思うが、それを許容する(もしくは推した)制作スタッフであったことも注目ポイントではあろう。フォーク、ポップスのアルバムがセールス的に成功し始めていたことも追い風になったのかもしれない。

『忘れられた夏』は変に前例にとらわれることのない、素晴らしい作品となったと言える。セールスは…と言うと、正確なデータがないのでよく分からないけれども、それほど芳しくはなかったことは想像できる。しかしながら、一時は裏方を指向していた南は、以降、3rdアルバム『SOUTH OF THE BORDER』(1978年)、4th『SPEAK LOW』(1979年)、5th『MONTAGE』(1980年)、6th『SILKSCREEN』と立て続けに良作を発表。シンガーソングライターとして確固たるポジションを築きつつ、『SPEAK LOW』収録の「Monroe Walk」を郷ひろみがカバーしたり、『SILKSCREEN』収録の「スローなブギにしてくれ (I want you)」が角川映画『スローなブギにしてくれ』の主題歌となったりと、日本の音楽シーンにおいて欠かせない存在となった。彼は『忘れられた夏』を“本当のデビューアルバム”と言ったそうだが、確かにそうなのであった。
TEXT:帆苅智之
アルバム『忘れられた夏』
1976年発表作品

<収録曲>

1.これで準備OK(アルバム・バージョン)

2.ジャングル・ジム・ランド

3ブルーズでも歌って

4.眠りの島

5.忘れられた夏(アルバム・バージョン)

6.月夜の晩には

7.ヤシの木の下で

8.静かな昼下り

9.ひとつの別れ

10.これで準備OK(inst)


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