ソロピアノの可能性を拡げたキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』

2020年6月12日 / 18:00

ピアノ1台のみの演奏はリスナー側に真剣に向き合う気がなければ、単調に流れてしまいやすいフォーマットではないだろうか。かつて、音楽が消費物でなかった60年代〜70年代中頃に日本各地に存在したジャズ喫茶では、重厚なソロピアノ作品であるダラー・ブランドの『アフリカン・ピアノ』(‘73)がリクエストされ続けたことはあるが、通勤や通学途中にイヤフォンやヘッドフォンで気軽に聴くような性質の音楽ではない。かといって、同じソロピアノでもジョージ・ウィンストンあたりになると雰囲気を楽しむBGM的な聴きかたが正しいような気もする。今回紹介するキース・ジャレットの2枚組(LP発売時)大作『ケルン・コンサート』(I75)はライヴでの即興演奏を収めた作品だ。キースはジャズ出身ではあるが、ここでの演奏は張りつめた緊張感とリリシズムにあふれた現代音楽のような独自のサウンドが繰り広げられている。本作はジャズ系のアルバムとしては異例の全世界で400万枚を超えるセールスとなった。
ロックの隆盛とジャズの衰退

R&Bやロックンロールの誕生を皮切りに、ボブ・ディランやビートルズが登場した60年代初頭あたりからポピュラー音楽界は革命的な進化を遂げる。それまで隆盛を誇っていたポップスやジャズの人気に翳りが見えはじめ、大手レコード会社は生き残りをかけてジャズからロックへと大胆にシフトしていくことになる。60年代後半〜70年代初頭には『イージー・ライダー』(‘69)、『明日に向かって撃て!』(’69)、『真夜中のカーボーイ』(‘70)、『いちご白書』(‘70)、『バニシング・ポイント』(71)など、フォークやロックを前面にフィーチャーしたアメリカンニューシネマの世界的流行で、ロックは若者を代弁する音楽となる。
マイルス・デイビスのエレクトリック化

60年代後半、クリームやグレイトフル・デッドといったサイケデリックロックやニューロックの人気グループはジャズの方法論(特にアドリブ)を取り入れることでロックを進化させ、BS&T、シカゴ、イフ、ブライアン・オーガーらのようなアーティストたちは、よりジャズに近いジャズロックを生み出していた。ジャズサイドのアーティストたちもそれに対して、ロックの8ビートを取り入れたり、ロックフェスに参加したりするなど、ロックに興味を示す者も少なくなかった。

中でも、マイルス・デイビスが68年にリリースした『マイルス・イン・ザ・スカイ』では、8ビートの導入と楽器のエレクトリック化を図っている。70年にはロック界にも大きな影響を与えた2枚組の大作『ビッチェズ・ブリュー』をリリースし、ロックとジャズのフュージョンを成し遂げた。このアルバムではチック・コリア、ジョー・ザビヌル、ラリー・ヤングの3人にエレピを弾かせるという画期的なことをやっている。この後、コリアはリターン・トゥ・フォーエバーを、ザビヌルはウェザー・リポートを結成し、それぞれフュージョン黎明期のリーダーとして活躍、マイルスの思考を自分たちなりに昇華させたのである。
キース・ジャレットという 類い稀なアーティスト

『ビッチェズ・ブリュー』の録音後、マイルスのグループにキース・ジャレットが加入、コリアとともにキーボード要員として活動する。このメンバーでロックの殿堂であるフィルモア・イーストに出演し、ロック好きの観客の度肝を抜く演奏を繰り広げ、ロック界にも食い込む活動を行なうようになる。ジャレットはマイルスのグループに加入する前、サックス奏者のチャールス・ロイドのグループに在籍しており、ライヴ盤『フォレスト・フラワー』(‘67)での生ピアノの演奏に大きな注目が集まり、マイルスに呼ばれることになった。この『フォレスト・フラワー』はロックファンにもアピールする内容で、僕が中学生の頃にジャズの良さを知るきっかけとなったアルバムとして忘れることができない。

ロイドやマイルスのバックを務めていた頃ジャレットは、ビル・エバンスの叙情性と美しさ、そしてゴスペルやカントリー、フォークに影響された泥臭さが共存するという類い稀なスタイルを持っていた。また、マイルスのグループでエレピやオルガンを弾くようになってからは、ソウルやファンク的なニュアンスも身に着けることになり、彼のジャズマンとしての存在感は高まっていく。
ECMの北欧的なイメージ

ジャレットがマイルスのグループにいる時に出会ったのが、ECMレコード(69年に設立されたばかりのドイツのインディーズレーベル)のオーナー、マンフレート・アイヒャーで、アイヒャーはジャレットの生ピアノを生かすため彼にはソロでのレコーディングが必要だと考えていた。ECMレコードのテーマは“沈黙の次に美しい音”であり、それをアイヒャーは探し求めていたのである。まず、アイヒャーはチック・コリアに声をかけ、即興ソロピアノ作『チック・コリア・ソロ Vol.(原題:Piano Improvisations Vol.)』『チック・コリア・ソロ Vol.2(原題:Piano Improvisations Vol.2)』(‘71)を制作し、その半年後に続いてジャレットのソロピアノ作品『フェイシング・ユー』を制作している。このアルバムでは彼のクラシックピアノのテイストと先にも述べたゴスペルの泥臭さが混在した作風となっており、ジャレット独特の魅力に溢れた仕上がりになっている。ただ、“沈黙の次に美しい音”という意味では、『チック・コリア・ソロ』のほうが相応しい仕上がりであった。ジャレットにとってライバルとも言えるコリアの作品を超える作品を作りたかったはずで、それにはECMのイメージを彼なりに構築する必要があったと思う。

ECMの魔力というか、このレーベルが持つ独特の「北欧の寂寥感」を思わせるイメージは、アーティストの作風すらレーベルのカラーに寄せてしまうようなところがある。だからこそECMのファンは、このレーベルからリリースされるアルバムを信頼しているのである。もちろん、ECMと言ってもアート・アンサンブル・オブ・シカゴやエヴァン・パーカーといった泥臭い前衛ジャズのアルバムもリリースしているから一概には言えないが、それでもECMの“北欧の冬”感は揺るぎないイメージとして存在するのである。
本作『ケルン・コンサート』について

そして73年、ドイツのブレーメンとスイスのローザンヌで行なわれたジャレット初の即興ソロライヴを収録した3枚組の大作(CDでは2枚組)『ソロ・コンサート』がリリースされる。このアルバムは彼のキャリア全体を通しても上位にランクされる傑作だろう。この作品で彼はECMの“沈黙の次に美しい音”のイメージを掴んだのだと思う。ゴスペルに影響された泥臭さは封印され、彼のクラシックピアノのキャリアを存分に生かしたサウンドで勝負している。リバーブの効いたピアノの音がとても深く美しい。

そして、この『ソロ・コンサート』の良いところを凝縮し昇華させたのが、本作『ケルン・コンサート』である。収録曲は2曲。前作同様、曲のタイトルはなく、単に「ケルン、1975年1月24日(パートI)(原題:Köln, January 24, 1975, Part.I)」という表記。そして、2曲目は「ケルン、1975年1月24日(パートIIA)(原題:Köln, January 24, 1975, Part.IIA)」「ケルン、1975年1月24日(パートIIB)(原題:Köln, January 24, 1975, Part.IIB)」「ケルン、1975年1月24日(パートIIC)(原題:Köln, January 24, 1975, Part.IIC)」と3パートに分かれている。これはLP収録時にA〜D面に振り分ける必要があったためだ。

即興とはいえ、前作の『ソロ・コンサート』のフレーズがアレンジされて使われているのだが、まさに良いところが凝縮されている。特に1曲目の「Köln, January 24, 1975, Pt.I」(26分半)の出来は秀逸で、この曲のためにこのアルバムを買っても損はない。静謐感の漂う曲のスタートは、まさにECMのイメージ通りであり、数多いソロピアノ演奏の中でも群を抜いて素晴らしいと思う。

僕はこのアルバムと出会って40年近くになるが、今でも繰り返し聴き続けていて、何度聴いても新しい発見ができる稀有の傑作だと思う。本作が気に入ったら前作の『ソロ・コンサート』や、キース・ジャレット以外のECMの諸作品も聴いてみてほしい。また、このアルバムにまつわるさまざまな逸話は、ウィキペディアで紹介されているので、ぜひチェックしてみてください。

ちなみに、冒頭で紹介したダラー・ブランドのライヴ盤『アフリカン・ピアノ』もECMからのリリースで、こちらは汗臭いまでの気迫に満ちあふれた熱気が伝わってくる傑作である。
TEXT:河崎直人
アルバム『The Köln Concert』
1975年発表作品

<収録曲>

1. ケルン、1975年1月24日(パートI)/Köln, January 24, 1975 Part I

2. ケルン、1975年1月24日(パートIIA)/Köln, January 24, 1975 Part IIA

3. ケルン、1975年1月24日(パートIIB)/Köln, January 24, 1975 Part IIB

4. ケルン、1975年1月24日(パートIIC)/Köln, January 24, 1975 Part IIC


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