イゴール・レヴィットの『ライフ』 鎮魂と再生(Album Review)

2019年1月30日 / 14:45

 いま注目すべき若手ピアニストは誰か、という問いに対して、筆者なら、昨年驚異的なバッハ・アルバム(DG)を世に放ったアイスランドのヴィキングル・オラフソン、そしてノヴゴロド生まれで、既に輝かしい録音を刻み、近い将来必ず巨匠の域に達する、と信じざるをえない赫赫たるキャリアを築きつつある俊英、イゴール・レヴィットの名を真っ先に挙げる。

 ベートーヴェン後期ソナタ集5曲の2枚組、やはり2枚組でリリースしたバッハのパルティータ全曲、続いてバッハのゴルトベルク変奏曲、ベートーヴェンのディアベッリ変奏曲にジェフスキの『不屈の民』と、変奏曲を集めた2枚組がいままでにリリースされているように、レヴィットのアルバムはこれまで全て2枚組だった。

 ニューアルバム『ライフ』もご多分に漏れず2枚組で、これは亡マルチアーティストだった亡き友、ドイツのハンネス・マルテ・マーラーの思い出に捧げられている。

 ブックレットに収録されているレヴィットの筆になる長詩も胸を抉る素晴らしいもので、これも是非目を通して頂きたいが、やはり屹立する音楽の存在感のすさまじさに改めて震撼させられる。

 今回のアルバムで、レヴィットは編曲モノを多く取り上げつつ、幻想曲にもスポットライトをあてている。ブゾーニの『J.S.バッハによる幻想曲』、バッハ=ブラームスのシャコンヌ、リスト=ブゾーニ『マイアベーアの主題による幻想曲とフーガ』、そしてワーグナー=リストから『聖杯への厳かな行進曲』と『イゾルデの愛の死』などがそれだ。

 リストの『幻想曲とフーガ』を筆頭に、圧倒的な技巧と広大な音色のレジスターを駆使して組み立てる大伽藍の威容には、ただただ圧倒される。

 しかしその一方で、シューマン最晩年の作である『天使の主題による変奏曲』や、ブゾーニの『子守歌』、そしてビル・エヴァンスの『ピース・ピース(Peace piece)』で描き出す、祈りを籠めた静謐で澄みきった世界も、派手なコントラストを盛るでもなく、ごくごくナチュラルに同居させることに成功している。

 レヴィットは、微細な表現の襞に丹念に光を当てたかと思えば、魁偉なる音響の交響的な姿を打ち立てたりして、一本調子に陥る瞬間は決してない。この包容力に裏打ちされた稀有なる表現力は、既に並ぶ者がいないほどの圏域にまで達している。

 尋常ならざる集中力で楽曲に沈潜しつつ、千変万化の音色で織り成される音楽は、聴く者の心に、時に遠いさざなみを、またある時には波濤を打ち寄せさせる。

 レヴィットの祈りは、自然と、我々自身が喪ったものとの切離の哀しみや喪失感、悲嘆や遙かな思いと重ね合わされる。しかし、そこにこぼれ落ちる音は、暗闇のなかに差し込む、ほのかな一筋の光のように響く。

 「絶望」というカードの裏には、恐らく「希望」と書かれているのだろう。これは暗き淵より友の名を呼ぶ鎮魂の歌であるとともに、さまざまな思いを抱えつつ、それでも生きてゆくものたちへの讃歌でもあるように響いてくる。

 しかしそれは決して安直なカタルシスへと導かれることはない。ただただ、何度も繰り返し、既に生起したことを「幻想」の中に見出し、その瞬間を再び何度も繰り返して「生きる」ことを、聴くものに促す。

 いみじくも『ライフ』と名付けられたこのアルバムは、鎮魂であると同時に、ひとつの軸を中心にして旋回する、永遠に閉じることのない生命の環における、らせん状にしか進まない人生ーライフの再生のプロセスをも、しっかりと刻み込んでいる。Text:川田朔也

◎リリース情報
イゴール・レヴィット『ライフ』
SICC-30495 ~ SICC-30496
3,600円(tax out)


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