<コラム>Herbert R. Sim「Bitcoin Man: Superhuman Awakening」が映す、“ポストヒューマン・ポップ”の現在

2026年9月3日 / 08:30

 暗号資産、AI、ブレイン・コンピューター・インターフェース、遺伝子編集、ロボティクス。通常ならテクノロジー・カンファレンスの壇上で語られるような言葉が、いま一つの中国語ミュージック・ビデオの中で同時に鳴っている。

 ハーバート・R・シム(Herbert R. Sim)が公開した中国語楽曲「Bitcoin Man: Superhuman Awakening」は、本人の発表によれば、YouTube公開から18日足らずで660万回再生を突破したという。

 単純な数字だけを見れば、“暗号資産をテーマにした楽曲がバイラル化した”という話に見える。しかし、この作品の興味深さはそこではない。シムが描こうとしているのは、ビットコインの価格でも、投資の熱狂でもない。人間そのものがテクノロジーによってアップデートされる未来だ。

 MVに現れるのは、人工知能、ロボティクス、ニューロチップ、ブレイン・コンピューター・インターフェース、遺伝子編集、クライオニクス、そしてトランスヒューマニズム。金融テクノロジーの象徴だった“Bitcoin Man”というキャラクターを、人間拡張の物語へと接続することで、シムは自身のパブリック・イメージを次の段階へ進めようとしている。

<「Bitcoin Man」は、もはや暗号資産だけのキャラクターではない>

 シムが「The Bitcoin Man」としてのアイデンティティを確立したのは2016年。TheBitcoinMan.comを立ち上げた当初、彼は自分自身がBitcoin型のペンダントを身につけたイラストを描いた。そのイメージはやがて現実のスタイルとなり、彼は世界各地のカンファレンスで同じモチーフのネックレスを着用するようになる。何千枚もの記念写真の中で、ペンダントは単なるアクセサリーから記号へ変わった。“Bitcoin Man”という名前を視覚化するロゴのような存在である。

 さらにここ数年、シムはBitcoin柄を全面に配したカスタムスーツや、クロームレザーを組み合わせた未来的なテーラリングへとその表現を拡張してきた。クラシックなスーツという極めて伝統的なフォーマットに、暗号資産のアイコンを繰り返し配置する。その姿は、フィンテックのブランド化というより、ファッションによるキャラクター・デザインに近い。

 シム本人の紹介によれば、彼は2011年にアジア発のデジタル・ラグジュアリー/ファッション媒体WardrobeTrendsFashionを創設。ランウェイ、高級ファッション、ライフスタイルをオンラインで扱い、2015年にはWAN-IFRAとGoogleによる【Asian Digital Media Awards】でBest Lifestyle Websiteの<Gold Award>を受賞、翌2016年には【Asia-Pacific Stevie Awards】でも複数の<Gold>を獲得したという。

 つまり彼にとってファッションは、暗号資産で有名になった後に付け加えた装飾ではない。テクノロジーを「どう見せるか」という発想そのものが、キャリアの初期から存在していた、と本人は位置づけている。

<中国語で歌う「超人類覚醒」>

 今回の「Bitcoin Man: Superhuman Awakening」が特徴的なのは、そのテーマが暗号資産から明確に広がっている点だ。タイトルにある“超人類”は、トランスヒューマニズムを直接想起させる。人間の身体や認知能力を科学技術によって拡張し、生物学的な限界そのものを乗り越えようとする思想だ。

 MVの世界観でも、人間と機械の境界は曖昧になる。脳とコンピューターが接続され、AIが知性の補助装置となり、ロボットが身体能力を拡張し、遺伝子編集が生命そのものの設計可能性を問いかける。クライオニクスは“死”という時間的制約への反抗として置かれ、ニューロチップは身体とデジタル世界の接点として登場する。これらを一つのミュージックビデオに詰め込む方法は、学術的な説明とは正反対だ。シムは概念を解説するのではなく、ビート、衣装、身体、CG、キャラクターへと翻訳する。未来思想を論文からポップ・カルチャーへ移す作業とも言える。

<AIで作られる“シンセティック・シネマ”>

 シムの映像活動は今回が最初ではない。2023年にはEDMグループCrux Decussataの「We Are X」MVにメイン・パーソナリティとして出演し、複数の海外メディアで取り上げられた。2026年には自身の「Bitcoin Man」MVを発表。AIを全面的に用いた映像表現によって、人間と機械が融合する身体、発光する神経インターフェース、現実には存在しない進化形態を描いた。

 この作品群で興味深いのは、テーマと制作手法が一致していることだ。人間の次の形を扱う映像を、人間だけではなくAIと共同で作る。従来のMV制作なら、撮影チーム、VFX、特殊メイク、セット、美術、ポストプロダクションが担っていた工程の一部を、生成AIが急速に吸収し始めている。監督はカメラを置く人であるだけでなく、プロンプト、モデル、参照画像、データ、反復生成を設計する“システム・ディレクター”になりつつある。

 シムの作品は、この新しい制作環境を「シンセティック・シネマ」として極端なところまで押し進める。現実を撮影して加工するのではなく、最初から存在しなかった世界を計算によって作り出す映像だ。そのため「Bitcoin Man: Superhuman Awakening」は、AIを題材にしているだけではない。AI時代の映像制作そのものを、作品の構造に組み込んでいる。

<1,000万人の先にあるもの>

 シムのYouTubeチャンネル「TheBitcoinMan」は2026年、登録者数1,000万人を超え、YouTubeのDiamond Play Buttonに到達した。

 暗号資産という比較的限定されたテーマから出発したクリエイターが、ここまで巨大なオーディエンスを形成したこと自体が興味深い。しかし、現在のシムのコンテンツを見ると、Bitcoinは入口であって、終着点ではないことが分かる。その関心は以前から、より長期的なテクノロジーへ向いていた。

 シムによれば、2010年にはブロックチェーン研究論文を収集するCrypto Chain Universityを設立。さらにTranshumanism.comNeurochip.com、GeneticsTechnology.comといったドメインを長期にわたり保有し、ニューラル・インターフェース、遺伝子技術、人間拡張への関心を示してきたという。この背景を踏まえると、「Superhuman Awakening」は突然の方向転換ではない。むしろ、暗号資産によって獲得した“Bitcoin Man”という記号を、以前から追い続けてきたトランスヒューマニズムへ接続する作品と考えることができる。

<日本から見る「Bitcoin Man: Superhuman Awakening」>

 日本のポップ・カルチャーにとって、人間と機械の境界は新しいテーマではない。サイバーパンク、アンドロイド、義肢、電脳、人工生命、バーチャル・アーティスト——長い時間をかけて、フィクションの中で“人間の次”を想像してきた。だからこそ、シムの作品は日本の視聴者にとって意外なほど理解しやすい部分を持つ。異なるのは、その未来像がもはやアニメやSF映画の内部だけに存在していないことだ。生成AIはすでに映像を作り、BCIは研究室から実装へと近づき、遺伝子編集やヒューマノイド・ロボットをめぐるニュースは徐々に日常のものになりつつある。

 かつてのSF的モチーフが、少しずつプロダクト・ロードマップへ変わり始めている。そのタイミングで、シムはテクノロジーの議論を中国語のポップ・ソングへ変換した。英語圏だけに閉じず、アジアの言語で作品を展開することにも意味がある。テクノロジーの未来をめぐる文化的な主導権が、シリコンバレーだけで決まる時代ではなくなっているからだ。

<Bitcoinの“B”から、人類の次章へ>

 ファッション編集者、ブロックチェーンのアーカイビスト、暗号資産業界のパーソナリティ、そしてトランスヒューマニズムをテーマにする音楽クリエイター。ハーバート・R・シムのキャリアは、一見すると異なる領域を渡り歩いているように見える。しかし、それらを貫く共通項は明確だ。未来を、概念だけで終わらせず、記号にすること。Bitcoinのペンダントを身につけ、暗号資産をスーツの柄にし、人間拡張をMVの身体表現へ変え、AIそのものを制作ツールとして使う。シムは一貫して、抽象的なテクノロジーを「見えるもの」へ変換してきた。

 「Bitcoin Man: Superhuman Awakening」が公開から18日足らずで660万回を超える再生を記録したことは、その変換が少なくとも大きな注目を集めたことを示している。次に問われるのは、この“Bitcoin Man”というキャラクターがどこまで変化できるかだろう。金融のヒーローから、ポストヒューマン時代の案内役へ。もし今回の中国語MVがその転換点なのだとすれば、シムが歌っている“覚醒”とは、超人類だけのことではないのかもしれない。Bitcoin Man自身の再起動なのかもしれない。


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