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脳内のランダム/シャッフル再生にはしばしば唸らされる。思い当たる方も少なくないかと思う。自分の頭の中のことだから感心するのも何だが、どういう理由があって今朝は道々その曲が流れたのか説明がつかない。これから気の張るミーティングがあるという時にローリングストーンズの「ストリート・ファイティングマン」が流れ出すというバッチリな選曲があったかと思うと、以前、ニューヨークの街を歩いている時にふいに森進一の「襟裳岬」が鳴り、大いに困惑させられたことがある。理由なんて、さっぱり分からない。
前置きが長くなったが、今日も墓参の最中になぜかこの曲が流れてきたのだ。ヴァレリー・カーターの「ウー・チャイルド(原題:Ooh-oo child)」。故人がこの曲を愛聴していたからと言うわけではなく、ただ唐突に脳内に流れただけのことである。選盤の理由はそういうわけで、何の根拠もないのだが、今回はこの曲が収録された彼女の傑作ファースト作『愛はすぐそばに(原題:Just A Stone’s Throw Away)』(‘77)を紹介する。
ヒットチャートの中心が西海岸、 カリフォルニア発の音楽に なっていた時代
本作が世に出た時期というのは、前年に全米1位、同年度のグラミー賞最優秀レコード賞を受賞し、記録的なセールスを獲得したイーグルスの『ホテル・カリフォルニア(原題:Hotel California)」(’76)が出るなど、米西海岸のロックシーンに注目が集まっていた。もちろん欧州ではクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ(原題:Bohemian Rhapsody)」がヒットし、アバやエルトン・ジョンがチャートを席巻するという状況だったから、決して米国西海岸一辺倒というわけでもなかった。それでもイーグルスを筆頭に、ジャクソン・ブラウンやドゥービー・ブラザーズ、そしてリトル・フィートやスティーブ・ミラー・バンド、ボズ・スキャッグス、リンダ・ロンシュタット…etcと次々と“西海岸系”のメジャーアーティストのアルバムが市場に出てブームになっていた。そんな中でヴァレリーのソロデビュー作も出た。
日本盤が出た当時(77年)、それほどメディアのほうで大々的な宣伝がなされていたような記憶はない。とても愛くるしい彼女のルックスをアピールするジャケット写真を使った広告が音楽雑誌に出たくらいだったかと思う。アルバムの帯には“愛はすぐそばに”という邦題と甘いコピーがAOR(Adult Oriented Rock)感を煽っていた。きっと、日本盤を出すにあたって配給元はその線を打ち出すのを最良としたのだろうか。
私のほうは友人たちの大絶賛がすごかった。プロデュースにはエンジニアとしてリトル・フィート、アース・ウィンド&ファイヤー、ジェームス・テイラーとも仕事をしているジョージ・マッセンバーグ、そしてリトル・フィートのローウェル・ジョージ、アース〜からモーリス・ホワイトらが共同であたっている。その関係でリトル・フィートのメンバー、アース・ウィンド&ファイヤーのメンバー、他にブルーグラス方面でも著名なセッション・マン、ハーブ・ピーダースン、フレッド・タケット、TOTOのメンバーとしても活躍する超多忙セッション・ドラマーのジェフ・ポーカロ、達人ベーシスト、チャック・レイニー、コーラス陣にジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット、デニース・ウィリアムス、ジェームス・テイラーら、錚々たる面子が参加している。この方面が好きな音楽仲間はこぞってアルバムを買い、喋りたくてたまらないといばかり、逐一、内容を伝えてきた。「お前も聴け」と仲間に煽られた私は彼らより少し遅れてアルバムを手に取ったのだが、オープニングを飾った「ウー・チャイルド」のイントロを聴いた瞬間から、「これは…、いい!」と思った。そして、ヴァレリーの魅力に、たちまちメロメロになった。
豪華ゲスト陣、 選りすぐりの楽曲に加え、 可憐さだけでない、 うまさが光るヴァレリーの美声
エレピ、ベース、ドラムのシンプルなイントロに続いてホーン・セクションが加わったところにヴァレリーが歌い出す「ウー・チャイルド」は、元はシカゴのR&Bコーラスグループ“ファイヴ・ステアステップス/The Five Stairsteps”のカバーである。そのことはずっとあとになって知ったのだが、とにかくこの洗練されたアレンジの凝りよう、ソウル風味をきかせたヴァレリーのヴォーカルの素晴らしさに、1曲聴いただけで参ってしまった。2曲目の「リンギング・ドアベルズ・イン・ザ・レイン(原題:Ringing Doorbells In The Rain)」はヴァレリーのオリジナル曲。彼女の歌のうまさ、琴線を震わせるヴィブラートの見事さに唸らされる一方、ただ歌うだけではなく、ソングライティングの才にも感心させられる良い曲だ。「ハートエイク(原題:Heartache)」はローウェル・ジョージが書いた曲で、彼自身、唯一残したソロ作『特別料理(原題:THANKS I’LL EAT IT HERE)』にも収められている美しい曲だ。「フェイス・オブ・アパラチア(原題:Face of Appalachia)」はローウェルとジョン・セバスチャンの作。セバスチャンは元ラヴィン・スプーンフルのリーダーで、ウッドストック・フェスで一人アコギ1本で大観衆の前で歌っていた姿を、映画の中でも観ることができる。この曲では珍しくバンジョーが鳴っている。ハーブ・ピーダースンだろうか。
ここからLP時代はB面に移る。ソウルフルに歌い上げるタイトル・チューン「ア・ストーンズ・スロウ・アウェイ(原題:A Stone’s Throw Away)」では一聴して彼と分かるローウェル・ジョージの浮遊感のあるスライドギターが聴ける。続く「カウボーイ・エンジェル(原題:Cowboy Angel)」はローウェルとヴァレリーの共作曲。ジョン・セバスチャンのハーモニカも陶酔を誘う。そして、「シティ・ライツ(原題:City Lights)」はモーリス・ホワイト、ヴァーディン・ホワイト、フレッド・ホワイト、ラリー・ダン、アル・マッケイらアース・ウィンド&ファイヤー組がバックをつとめる異色のセット。彼らはヴァレリーが本作以前に組んでいたバンド(ハウディ・ムーン)のバンドメイトで、アース〜に楽曲提供をしていたジョン・リンドの呼びかけで参加したのだろう。エンディングの「バック・トゥ・ブルー・サム・モア(原題:Back to Blue Some More)」は再びローウェル、ヴァレリー、そしてビル・ペインの共作曲で、しっとりとジャージーに歌い上げる。全9曲、33分という良い尺だ。
よく練られた楽曲、アレンジもあって、何度聴いても非の打ち所のない出来栄えに感嘆してしまう。なんと言ってもヴァレリーの歌のうまさが光る。何の資料もなく、ジャケット写真だけ見たならば、そりゃカワイ子ちゃん路線で宣伝してみるかとなろうが、歌、音を聴けばこれは見栄えで売るアルバムではない。バックコーラスもほぼヴァレリー自身が担当していると思われるが、さすが専門職らしく、うまい! ところが、これだけ歌えていながら、彼女はフロントに立つよりも、誰かのバックでコーラスをつけるほうが自分にはふさわしいと考える人だった。実際に、控えめな性格で、実はステージ恐怖症だったという証言もある。
ローウェル・ジョージ (リトル・フィート)との 出会いによって才能が開花する
ヴァレリーは1953年にフロリダ州ポーク郡ウィンター・ヘイブンという町で生まれている。フロリダ半島のほぼ中央に位置する。どのような音楽の遍歴をしてきているのかは定かではないけれど、時代的には多感な10代の頃にフォークやロック、R&B、シンガーソングライターの隆盛などの刺激を受けてきているのは間違いなく、その頃にはロサンゼルスに移り住んでいたのかどうか、コーヒーハウス等で歌い始めたという。やがて彼女はハウディ・ムーンというトリオ編成のフォークロックバンドに参加し、1974年にレコードデビューする。このアルバムをプロデュースしているのがローウェル・ジョージだった。ハウディ・ムーンのアルバムはヒットすることなく、バンドも注目を集めるには至らなかったようだが、今聞くと内容は悪くない…どころか、『セイリン・シューズ(原題:Sailin’ Shoes)』(’72)の時期のリトル・フィートのメンバーが全員参加しているなど、本盤に劣らぬレコーディング・セッション・メンバーが名を連ねている。ヴァレリーはハウディ・ムーンでも4曲ほどソングライティングに関わっていて、そのうちの「クック・ウィズ・ハニー(原題:Cook With Honey)」という曲がジュディ・コリンズに提供されてヒットし、ローウェルの後押しもあり、次第に西海岸の音楽シーンで認められ、ソロ・デビュー、本作のレコーディングへとつながっていくわけである。
本作をリリース後、ヴァレリーはイーグルスのコンサートツアーに同行してオープニングアクトを務めたり、たくさんのアーティストのレコーディングやライヴにヴォーカルで参加したり、まれに楽曲提供も行っている。そして2年後の1978年にはセカンド作『ワイルド・チャイルド(原題:Wild Child)』がリリースされる。こちらはプロデュースをジェームス・ニュートン・ハワードが単独であたり、バックアップはほぼTOTOのメンバーが中心となっていて、サウンド的にはタイトなリズムが強調され、アダルトな雰囲気が増している。ディスコミュージック全盛期でもあり、それを意識したのではないかと思われる曲もある。そして、改めて言うまでもなく、歌のうまさは全曲で光っていて、ファンキーなソウル風の曲でも違和感なく歌いこなしている。また、ヴァレリーの自作曲、共作が増えているところに、彼女自身、前作での手応えを感じてソロアーティストとしての意欲が現れていたのかとも思う。自分のコンサート、ツアーを行なうことこそなかったが、バックコーラスの依頼はジェームス・テイラー、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット、他、相変わらず引っ張りだこだったようだ。その矢先に、ローウェル・ジョージがドラッグのオーバードーズにより急逝してしまう。
長い沈黙、そして復帰。 ふいに届いた訃報…。
後年、彼女はローウェルについて“ソウル・メイト”と言っていたが、ヴァレリーにとって彼は師匠、それ以上の存在だったに違いない。それが原因なのかどうか、以降、彼女の活動は散発的なものとなる。次に彼女のアルバム『ザ・ウェイ・イット・イズ(原題:The Way It Is)』が届けられるまで、我々は18年も待たなければならないのだ。
待っていたのはファンだけでなく、同業のミュージシャンも彼女の不在を惜しんでいた。これはファンにはよく知られたエピソードだが、スペンサー・デイヴィス・グループ→トラフィック→ブラインド・フェイス→ソロの活動で知られるスティーヴ・ウィンウッドが1982年に出した「青空のヴァレリー(原題:Valerie/作詞ウィル・ジェニングス)」(アルバム『トーキング・バック・トゥ・ザ・ナイト(原題:Talking Back To The Night)』収録)は、シーンから消えてしまったヴァレリーを案じ、復帰を望んで彼女に捧げられたものだという。あくまで噂でしかないが、歌詞を読むとそれらしい暗喩に富む。ウィンウッドとヴァレリーの共演なんて実現してほしかった。
1996年になって、ようやくヴァレリーはアルバム『ザ・ウェイ・イット・イズ』でシーンに戻ってくる。彼女の復帰を祝うように、フィービー・スノウ、ライル・ラベット、エドウィン・マケイン、ジェームス・テイラー、リンダ・ロンシュタット、ジャクソン・ブラウンらがコーラスで参加しているほか、ジャクソンと故ローウェル・ジョージ、ヴァレリーの共作曲、ニール・ヤングやヴァン・モリソン、トム・ウェイツらのカバー曲が含まれるなどの工夫もあったが、何よりもみずみずしいヴァレリーのヴォーカルが健在であったことに、ファンは安堵したのだった。以降、ヴァレリーはコンスタントに活動する。とはいえ、大ヒットが出るわけでもなく、活動が控えめなのは以前と変わらないが、日本にも何度か公演に訪れ、佐橋佳幸や鈴木祥子といった日本のアーティストのレコーディング、ライヴに参加するなど、交流もあった。
残念なことに、ヴァレリーは2017年3月、心臓発作で亡くなってしまった。ドラッグが遠因とも言われる。エンディングは苦いものになってしまうのだが、忘れ形見のように彼女の遺した未発表音源、発掘音源(生前交流のあった、何とプリンスとの共作曲を含む)が『ザ・ロスト・テープス 第1集(原題:The Lost Tapes Vol.1)』(‘18)、『同 第2集(原題:The Lost Tapes Vol.2)』(‘22)が出ている。
改めて、彼女のソロ・デビュー作『愛はすぐそばに』を聴いて想う。くどいほどに言うが、本コラムだけでなく、このアルバムについては個人のブログも含め、すでに数多く紹介されている。それくらい、必聴盤だということだ。未聴の方は是非この機会に聴いてみて欲しい。今ではこのアルバムは70年代に出た数ある女性シンガーソングライターの名作を代表する一枚だと信じて疑わない。
TEXT:片山 明
アルバム『愛はすぐそばに(原題:Just A Stone’s Throw Away)』
1977年発表作品
<収録曲>
1. ウー・チャイルド/Ooh Child
2. リンギング・ドアベルズ・イン・ザ・レイン/Ringing Doorbells In The Rain
3. ハートエイク/Heartache
4. フェイス・オブ・アパラチア/Face Of Appalachia
5. ソー・ソー・ハッピー/So, So Happy
6. ア・ストーンズ・スロウ・アウェイ/A Stone’s Throw Away
7. カウボーイ・エンジェル/Cowboy Angel
8. シティ・ライツ/City Lights
9. バック・トゥ・ブルー・サム・モア/Back To Blue Some More
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