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今週は2月22日に初のライヴアルバム『LIVE 2022 “Simple is best”』をリリースした手嶌葵の過去作品にスポットを当てよう。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーがその歌声に惚れ込み、いきなり宮崎吾朗監督作品『ゲド戦記』のテーマソングを歌うことになっただけでなく、ヒロインの声優にも抜擢。改めてその歌声を聴きまでもなく、その破格のデビューも当然と思わせる天賦の歌声と、独特のオーラをまとった女性シンガーである。“I Love Cinemas”として過去3作リリースされているシリーズの第一弾である『The Rose 〜I Love Cinemas〜』をピックアップしてみた。
映画主題歌・挿入歌の不変性
このアルバム『The Rose 〜I Love Cinemas〜』リリース前に手嶌葵に取材をさせてもらっていて、だから今週はこの作品をチョイスしたのだけれど、改めて本作を聴いて思ったことは、“もう15年も経ったのか!?”である。 “ついこの間、聴いた”と言えば流石に度がすぎるだろうが、数年前に聴いたくらいの感覚だ。少なくとも古い音源だとは感じなかった。それは、もちろん筆者の加齢によるところもあるだろう。昔のことはよく覚えているにもかかわらず、短期記憶が怪しいことは最近頓に増えた気がする。1980年代とか1990年代とかは昨日のことのようだ…というのは冗談に聞こえるだろうが、こちらとしてはあながち冗談と言えないところもあったりなかったりする(というのはもちろん冗談ですよ)。それは一旦置いておいて、『The Rose 〜I Love Cinemas〜』が古びて聴こえなかったのはその内容によるところが大きいのだと思う。
サブタイトルが示している通り、本作は映画の主題歌・挿入歌のカバー集である。しかも、彼女のデビューアルバム『ゲド戦記歌集』(2006年)が文字通りリアルアイムで公開された映画の楽曲集だったのに対して、こちらはシネマクラシックと言っていい作品から楽曲をチョイスしている。1939年の映画『オズの魔法使』のM5「Over the rainbow」が最も古く、以下、M2「Moon River」(1961年:映画『ティファニーで朝食を』)、M8「Alfie」(1966年:映画『アルフィー』)、M7「What Is A Youth?」(1968年:映画『ロミオとジュリエット』)、M4「Raindrops Keep Falling On My Head」(1969年:映画『明日に向って撃て!』)、M1「The Rose」(1979年:映画『ローズ』)、M3「Calling you」(1987年:映画『バグダッド・カフェ』)、M6「Beauty And The Beast」(1991年:映画『美女と野獣』)というラインナップである(加えて、アルバムラストにM9「The Rose (extra ver.)」が収められている)。
収録曲を相対的に見ると、1987年や1991年辺りは少なくとも当時はクラシックではなかったのでは?…と思う向きがあるかもしれない。それは、本作発売年の2008年を2023年現在にスライドさせてみるといいのでないかと思う。2008年から顧みた1987年と1991年は、21年前と17年前。2023年から見ると、それぞれ2002年、2006年ということになる。2002年と言えば、FIFAワールドカップ日韓大会の年で、2006年はワールド・ベースボール・クラシックの第1回大会が行われた年だ。これだけでも結構過去であることが分かる。映画で言えば、2002年はサム・ライミ版『スパイダーマン』や『猫の恩返し』、2006年は『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』や『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』、邦画では『LIMIT OF LOVE 海猿』や、それこそ『ゲド戦記』がヒットした年だ。超古いとまでは言えないものの、ひと昔、いや、ふた昔前という感じであろうか。
本作の話に戻れば、『The Rose 〜I Love Cinemas〜』は発売時点で、クラシックを含めて多くの人たちが懐かしさを感じるだろう名作映画から選曲されているのだ。そこがポイントだろう。そうした楽曲であるがゆえに今も聴き応えが古びていないのではないかと推測する。クラシカルだから古びていない? 矛盾していると思われる方がいるかもしれないので、言い方を換えると、流行にとらわれていないから…と言えば分かってもらえるだろうか。本作収録曲を主題歌や挿入歌としている映画作品はシネマクラシックというだけでなく、長く愛されているスタンダード作品でもある。楽曲は古今東西、多くのシンガーによって歌われ、世界中のリスナーに親しまれてきたナンバーだ。誰でも一度くらいは耳にしたことがあるだろう。“あの時以来、聴いていない”ということは少ないのではないかと思う。聴き応えに古さを感じないのはそういうこともあるのではないだろうか。
その歌声とサウンドの普遍性
『The Rose 〜I Love Cinemas〜』が15年前の作品であることを意識しなかったのは、スタンダードナンバーが並んでいるからだけではない。歌声とサウンドとが大きな要因である。まず、何と言っても、手嶌葵自身の歌声だ。そもそもボーカルがいい意味で時代性を感じないのである。癖がない…と勢い、言いそうになるけれども、決して癖がないわけではないと思う。若干、ほんのわずかだがハスキーでもある。その声質が効いているのだろう。基本的な歌唱はウイスパー調であって、全体的にフワッとした印象ではあるものの、決して上滑りしていないというか、いい意味で落ち着いている。歌声が安定しているという言い方でもいいだろうか。その周波数の高さに比例するかのように(?)、しっかりとした存在感がある声だ。
丁寧に歌っているのもいい。フェイクやアドリブはなく、原曲のメロディーをとても大事にしていることが伝わってくる。昨今のいわゆるR&Bを全て揶揄するわけでないが、中には歌唱が独特すぎて“曲芸か!?”と思ってしまうようなヴォーカリストもいるような気がする。本人が好きにやっているのだからそれはそれでいいのだけれど、聴く側としては、ポップス、とりわけ長い間、耳に馴染んできたスタンダードと言われるような楽曲のメロディーラインは尊重してほしいと思う今日この頃である(個人の意見です)。その点、手嶌葵の本作でのヴォーカルは実直とも言っていいほどの丁寧さであると思う。リリース当時から好感を持っていたが、今回、改めて聴いてみて、その良さは強調すべきではないかと思った次第である。
その歌声を支えるサウンドの存在も聴き逃せない。オリジナル曲はそれぞれ異なる映画の主題歌・挿入歌なので、当たり前のことながら、原曲のサウンドは異なる。Nino Rota とBurt Bacharachで異なるし、Burt Bacharachが手掛けた楽曲でも「Raindrops Keep Falling On My Head」と「Alfie」とではタイプが違う。「Over the rainbow」と「Beauty And The Beast」とはともにストリングスが豪華に配されていて、如何にも映画音楽といった感じで、他楽曲とは種類が違う感じすらある。それぞれ時代も違うのでそれも当然なのだが、本作では、いい意味で原曲のサウンドは踏襲していない。強いて言えば、M1「The Rose」はBette Midlerのオリジナル曲へのオマージュを感じさせるものの、そうは言っても、踏襲しているのはピアノくらいで、全体には実に抑制の効いたアレンジを施している。変に盛り上がらない…というと完全に語弊があるだろうが、原曲と本作収録曲を聴き比べたら、そのニュアンスが分かっていただけるのではなかろうか。
本作のサウンドは概ねこのM1のテイストで作られていると言っていい。落ち着いたアレンジにしているという言い方でもいいかもしれない。M6「Beauty And The Beast」が顕著であろう。ミュージカル調というか、歌劇調というか、歌以上にサウンドが情緒たっぷりに盛り上がっていく原曲に対して、手嶌葵バージョンはそれとはまったく異なる、感情を抑えに抑えたようなジャジーな仕上がりになっている。繰り返しになるが、そうしたアレンジ面も古さを感じさせないことに寄与しているのは間違いない。とりわけ当代であった2000年代の流行のサウンドに合わせることがなかったのは大正解である。制作スタッフは誰ひとりそんなことは思ってもいなかっただろうが、仮にそんなことをしていたとしたら、目も当てられないことになっていただろう。今、2000年代にリリースされたダンスコンピレーションとかを聴けばそれが分かると思う。それらの多くはなかなか香ばしい作品集である。
選曲に見る女性シンガーとしての自負
さて、ここまで述べれば、『The Rose 〜I Love Cinemas〜』は十分説明したと思われるが、そのメンタリティについて、もう少し続けよう。“カバーアルバムで何のメンタリティ?”と思われるかもしれないけれど、この作品では“手嶌葵とはどんなシンガーであるかということ、即ち手嶌葵のキャラクターがしっかりと示されていると思う。まず、映画の主題歌・挿入歌を収録したアルバムであること自体が彼女らしい。Wikipediaにこうある。[幼い頃から両親の影響で古いミュージカル映画に親しみ、趣味は映画鑑賞である。特に好きな映画として挙げているのは、『オズの魔法使い』『秘密の花園』『小公子』『ティファニーで朝食を』等。(中略)両親が洋楽好きだったこともあり、ルイ・アームストロングやエラ・フィッツジェラルド、ビリー・ホリディなどのジャズ・シンガーが好きで、特に中学時代に聴いたルイ・アームストロングの「ムーン・リバー」に衝撃を受けてジャズが好きになった。そうやって日頃から慣れ親しんできた映画音楽やジャズが彼女の音楽のルーツとなった]([]はWikipediaからの引用)。シネマクラシックの楽曲は彼女が幼い頃から慣れ親しんできたものであり、それを歌うのはむしろ自然なことなのである。特にM5「Over the rainbow」(『オズの魔法使い』)とM2「Moon River」(『ティファニーで朝食を』)は重要な楽曲のようであるし、M2「Moon River」はLouis Armstrongからの影響もあると考えると、彼女にとって欠かすことのできないナンバーなのであろう。アルバムのコンセプトと楽曲のチョイスは手嶌葵の必然であったことが理解できる。その後、『La Vie En Rose 〜I Love Cinemas〜』(2009年)と『Cheek to Cheek~I Love Cinemas~』(2018年)と続編が発表されるのも自然な流れと言っていいのだ。
「The Rose」がアルバムタイトルにもなっていて、オープニングとラストに収められているのも、彼女にとって必然である。その説明もWikipediaに譲る。[中学生の頃、対人関係の問題から登校拒否に近い状態になった。その時に心の支えとなったのがベット・ミドラーの「The Rose」であり、アマチュア時代からライヴでカバーしている。このカバーの音源がデビューのきっかけとなる]([]はWikipediaからの引用)。慣れ親しんだ曲であると同時に、プロのシンガーへの分水嶺だったとも言える重要な楽曲だったのである。「The Rose」はBette Midlerが歌った楽曲で、彼女は過去4度グラミー賞を受賞しているが、この楽曲もそのひとつ。映画『ローズ』の主題歌であり、この映画はJanis Joplinをモデルとしている。つまり、彼女は、伝説のロックシンガーを演じた映画女優兼グラミー賞歌手が歌ったナンバーを、カバーしたということになる。何とも肝の据わった話ではないかと思うのは筆者だけだろうか。偉大な女性シンガー×偉大な女性シンガーである。アマチュア時代から歌っていたということだから、彼女自身には気負ったところはなかったのかもしれないけれど、それならそれで、逆に彼女の度胸を感じるところである。M2「Moon River」をAudrey Hepburnバージョンで歌っているのは当然としても、M4「Raindrops Keep Falling On My Head」を彼女ならではの歌唱で歌っているところにも、いい意味で原曲に惑わされない芯の強さのようなものも感じるし、実質的なアルバムの最後と言っていい位置にM8「Alfie」を置いていることにもメッセージ性が感じられる。このラインナップ自体、“手嶌葵、すごい!”と言わざるを得ない貫禄があるのである。
TEXT:帆苅智之
アルバム『The Rose 〜I Love Cinemas〜』
2008年発表作品
<収録曲>
1.The Rose
2.Moon River
3.Calling you
4.Raindrops Keep Falling On My Head
5.Over the rainbow
6.Beauty And The Beast
7.What Is A Youth?
8.Alfie
9.The Rose(extra ver.)
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