鈴木康博 – Key Person 第19回 –

2021年11月20日 / 10:00

鈴木康博 (okmusic UP's)

糧があって 音楽を続けてきたのではなく、 音楽が生活の糧になっている

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』。第19回目はオフコースのメンバーとして1970年にデビューし、活動50周年を迎えた鈴木康博。その発言からは半世紀にわたり、どんな時代でも“身近なこと”を歌っている、その背景が垣間見えた。
鈴木康博
スズキヤスヒロ:1948年、静岡生まれ横浜育ち。中学生でアメリカンポップスに影響されてギターを弾き始め、高校在学中に友人の小田和正らとオフコースを結成。70年にシングル「群衆の中で」でデビューし、コンサート動員、レコードセールス等、音楽史に大きな足跡を残す。82年に全盛期のオフコースを離れ、83年にアルバム『Sincerely』でソロデビュー。自身はもとより、映像作品の音楽制作、他アーティストへの楽曲提供、プロデュースなど幅広く活動を展開。数多くの作品を発表し、ソロ、バンド、他アーティストのとのコラボ、ライヴ活動も積極的に継続中。その音楽性はもちろん、ますます磨きのかかったギターテクニックは多くのミュージシャンに影響を与え続けている。
あの頃のことは いくらでも言葉にできる

──鈴木さんは高校生の頃に初めて人前でライヴをしたそうですが、どんなステージだったのでしょうか?
「最初は確か高校1年の時のクリスマスパーティーで、「八十日間世界一周」のメロディーを単音でピッピッピッと弾いただけなんですよ(笑)。それだけでドキドキでした。まだギターを触ったこともなかったけど、誘われるがままに3,000円のガットギターを買ってもらい、すぐに無理やり鉄製の弦に張り替えて(笑)。今思うと笑っちゃいますけど、その頃はアンプも使えなかったような時代なので。その後、一年上の先輩が学園祭でライヴをやっていたのがカッコ良かったから、僕らはその時に流行っていたフォークソングをやろうってことで、ギターでThe Brothers Fourを練習し始めたんです。でも、周りからしたら高校2年の受験で大事な時に何を始めるんだって話で(笑)。先生に言っても“何を考えてるんだ!”と止められちゃったんです。当時は“ギターを弾いて歌うなんて、女子供のやるようなことを”って感じだったんですよ。“そりゃあねぇだろ!”と思って。」
──どう説得したのですか?
「キリスト教の学校だったので、校長先生が外国人だったんですよ。校長先生に直接掛け合いに行って、“フォークソングで「花はどこへ行った」とか、やさしい歌を歌うからいいじゃないか!”と交渉したらOKが出て、教室でできることになりました。そしたら評判が良くて、学園祭の開会式でやったらアンコールが止まなかったので閉会式でもやって、周りの女子学生もいっぱい観に来て、大ウケしちゃったんですよ。それを機に仲間も30人くらいできて、卒業後バラバラになっても休みの日に集まってライヴをしていくうちに、横浜の1,000人くらい入る小ホールでできるようになったんです。パンフレットを刷ったり、チケットもその仲間で作ったりしてね。そこから音楽をやるのが楽しくなってきたんです。その頃は学生の遊びでしたけど評判が良かったので、どのくらいの実力なのか試してみたくて、『ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト』に応募しました。」
──そのコンテストで全国2位となり、内定していた会社に就職するのをやめたそうですが、当時そんな大胆な決断をするのは珍しかったのでは?
「周りには就職するか大学院に進むか迷ってる奴はいっぱいいましたが、理工系から音楽に行く人はいなかったですね(笑)。会社で仕事をしているよりも、人前で歌ってウケたいほうが勝ったんですよ。就職予定の会社が九州にあって、面接試験を受けに行った時、朝早くに着いて時間を潰していたら、駅に草がボーボー生えていて、そんな中で待っているのがすごく寂しくて。その寂しさと人前で歌っている時の自分を考えると、“どっちとるよ、お前?”って。バカだからそんなことを考えたんですね(笑)。で、“こりゃあ就職はやめたほうがいいわ!”って。その代わりに音楽の教育はまったく受けていないから、音楽で飯を食っていくためにヤマハの音楽教室に通ったんです。そしたらそこには自分と同じような人がいっぱいいて。」
──まさにアルバム『十里の九里』(2021年10月発表)の「映画」で歌われている時期のことですね。その頃聴いていた音楽で印象的だったものはありますか?
「Peter, Paul and Maryは音楽性がすごく高くて衝撃的でした。ギター2本とベースとコーラス3人なんですけど、最初に影響を受けた音楽かもしれないですね。自分の基礎になっているというか。」
──音楽を学ぶようになってどんな変化がありましたか?
「ピアノを聴いたらすぐに何の音か分かる奴もいたから“ダメだ、俺!”と思いましたね。叶わないと思った。でも、生活自体は楽しくて、何が何だか分からない世界がいっぱいあるんですよ。いきなり社会人になって、バイトで赤坂に歌いに行って、今までまったくそんなことがなかったのに女の子に声をかけられたり(笑)。あの頃のことはいくらでも言葉にできるんです。「映画」もそうだけど、青春をテーマにいっぱい曲を書いてるじゃない? 今思うとそれくらいいろんな見え方ができる時期でしたね。」
ここからは自分の身近なことを 歌っていくんだと思った

──オフコースでの活動は鈴木さんにとってどんなものだったのでしょうか?
「勉強でした。会社を作って、アレンジも初めて自分たちでやるようになって…今思うと一生懸命でしたね。」
──50年以上活動してきた中で、音楽への向き合い方が変わったこともあったのではないかなと思うのですが。
「ある時期に自分のセンスがついていけなくなって、そうするとメジャー契約が終わるんです。“今までメジャーを目指して音楽を作ってきたのに、セールスしてくれる場所がなくてもやり続けるのか?”“どこも契約してくれないのに、それで音楽と言えるのか?”と考えました。今は“インディーズ”という言い方があるけど、昔は“自主制作”と言われていたんですよ。メジャーから外れることは都落ちで、“それでもやるのか?”って自分に問いかけて…でも、もう音楽しかやることがなかったんです。生きていく上で音楽を選んできて、自分のことを歌にしてきてね。作ればかたちとして残っていくものだから、これを続けるしかないと思った。あの時は本当に自分と音楽に向き合った感じがします。その時までは売れたいから音楽を作っていたところもあって…例えば自分で歌詞を書かなくても、作詞家の方にお願いすることだってできる世界だったんです。それが自主制作になると全部自分でやるしかない。そこで初めて自分の音楽と向き合えた。はっきり言ってしまえば、音楽を作る時に伝えたいことなんてないんですよ(笑)、俺がやっていることに関してはね。思ったことを歌詞にして、誰かが共感してくれれば手を出してくれるっていう感覚です。すごく伝えたいことがあってやっていると、だんだん大上段になっていくんだよね。そうすると、音楽が自分から離れていって、すごく距離ができてしまう。それは最初にフォークソングをやり始めた時に、戦争がどうのこうのって歌っていた時の気持ちと似ていて。戦争をしていないのに反戦を歌ったって、自分に実感がないから響かない。そのことにもやっと気がついて、もうここからは自分の身近なことを歌っていくんだと思いました。これはすぐに気がつけるものじゃなかったね。」
──今の鈴木さんのスタイルにつながっているんですね。
「うん。でも、自分のスタイルって自分ではあんまり分かっていないんだけどね(笑)。一時期は“音楽は自分の美意識を世の中に問うもの”と言っていたこともあるんですけど、今は美意識を持ってささやかにやっているだけです。」
一年ずつ、一生懸命に やることしか頭になかった

──83年にソロデビューをされてからは、郷ひろみさんに提供した「素敵にシンデレラ・コンプレックス」をはじめとする楽曲提供や、山本潤子さん、細坪基佳さんとのSong for Memoriesも含め、活動の幅が広がっていったと思いますが。
「あんまりどうしようこうしようって考えていなかったというか、Song for Memoriesもたまたま細坪くんとライヴをやるようになったから“一緒にやろうよ”って話になったんですよね。でも、ソロになったばかりの頃は、“ひとりで全国を回るにはどうしたらいいんだろう?”と考えていました。Song for Memoriesはありがたいことに3人で集まれば市民会館クラスの大きい会場でできるんですよ。そこでやったあとに、その街のライヴハウスを回ったらお客さんが来てくれるようになるんじゃないかとか、そういう発想があった気がする。それで10年間 Song for Memoriesをやって、ソロでもだんだんライヴハウスにお客さんが来てくれるようになり、都道府県全部を回れるようになったのかな? フォーク酒場と言われるようなライヴハウスが全国に増えて、オーナーが音楽好きだからPAもしっかりしていてね。」
──よりパーソナルな活動になっていったわけですね。
「そうですね。かなり前から関西地方だけを回ってカセットを売っている人たちがいたんですよ。その方たちは本当の自主制作で、中学校の校歌を作ったりもしていて、一年の終わりにはハワイ旅行に行くみたいな(笑)。すごいんですよ、もう活動のペースが出来上がっているわけ。当時そんなやり方はまだ誰もやっていなかったんじゃないかな? メジャーにいた頃から“こんなにマイペースに音楽ができる世界もあるんだな”と憧れていて、それはずっと頭の片隅にありましたね。だから、さっきは都落ちと言ったけど、自主制作でやることにはあまり抵抗がなかったんです。それでSong for Memoriesの活動が終わってからは、アルバムを作ってはツアーを回るっていう活動をしてきました。」
──長年活動されているからこそ、音楽業界の流れも見てきているわけですよね。
「いろいろ変わりましたけど、音楽をコンピューターで作れるようになったのも、ひとりでの活動としては大きいですね。コンピューターで作るのは前からやっていて…大学の卒業論文もそれでしたから(笑)、デジタルに対する嫌悪感はないんですよ。」
──ご自身が50年も音楽活動をすると思っていましたか?
「全然。この業界は一年先も分からないですからね。いつダメになるか分からないってところで、一年ずつ、一生懸命にやることしか頭になかったです。」
──続ける上で活力になっていたものはありますか?
「うーん、これだけやっていると分からないんですよ。暇だと知らないうちにギターを持っているし、ギターを持っているとコンピューターを触っているし。3日何もやっていないとイライラしてくる感じ(笑)。何かの糧があって音楽を続けてきたのではなく、音楽が生活の糧になっている。ファンの方や聴いてくれている方がいるから生活できているわけだし、感謝しています。」
──そんな鈴木さんにとってのキーパーソンはどなたですか?
「言い出したらきりがないくらい、いっぱいいますよ。今も担当してくれているマネージャーもそうだし、杉田二郎さんがいなかったらオフコースをやっていなかったと思うし…オフコースが全然売れていない時に杉田二郎さんと同じ事務所にいたんですけど、その会社が解散することになったんですね。“じゃあ、誰と一緒にやろうか?”って時に杉田さんがサブミュージック・パブリッシャーズオフィスという個人事務所を作るからって手を挙げてくれたんです。自分たちでやっていかないと音楽業界は変わらないって話をしてね。そこから世界が広がっていったので、杉田さんは大きい存在です。今のマネージャーはSong for Memoriesを10年間やって終わろうって時に手を挙げてくれて、それで全国を回れるようにもなったわけだし。手を貸してくれる人のおかげで自分に合った活動ができているから、本当に恵まれていると思います。」
取材:千々和香苗


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