<インタビュー>グラミー賞授賞式のステージにも立つ日本人ダンサーmaasa ishihara「自分にしかないもの」

2020年2月18日 / 12:00

 21歳に渡米し、ジャスティン・ビーバー、Nicki Minaj、TLC、Ciara、メジャー・レイザー、Becky G、日本でも安室奈美恵やSMAPなど、ダンサーとして様々なアーティストのステージに出演しているmaasa ishihara。2020年1月に開催された【第62回グラミー賞】のアリアナ・グランデのステージにも出演するなど、輝かしいキャリアを持つ彼女だがこれまでの道は必ずしも最短ではなかった。ダンスから離れていた5年間のブランク、LAでオーディションに合格するも再び東京に戻ることになるなど様々な道を経て、今のステージに立っている彼女が感じていることとは。ジャスティン・ビーバーのツアーにメインダンサーとして選ばれ、現在リハーサル中だという彼女に、インタビューを行った。

――グラミー賞授賞式でのパフォーマンス、いかがでしたか。
maasa ishihara:私にとって、グラミー賞授賞式でパフォーマンスをするのは初めての経験でした。さらに、グラミー賞当日にコービー・ブライアントが亡くなって。最後のテクニカルリハーサルでステージに上がる直前にニュースを聞いたんですが、会場中が泣いたり怒ったり、すごい騒ぎになっていました。こんな気持ちの中で、ステージに上がったのは初めてでしたね。会場では、コービーの事故をきっかけに、皆が「明日という日は、約束されていないんだ」ということを実感しているのを感じましたし、自分の人生を見つめなおすような印象的な1日でした。

――日本にもコービーとグラミー賞のニュースが両方飛び込んできて、とても印象的な1日でした。今回のアリアナのステージは、どのように作り上げていったのですか。
maasa:アーティストとバック・ダンサーというような見せ方ではなく、今回のショーのコンセプトの世界観に、パフォーマーと自分が共存するようなステージを作りたいと言われたことを覚えています。今回は、衣装、演出、振付の全てをアリアナ自身がチェックしていたので、彼女が表現したいことが全て詰まったステージができたと思っています。

――そもそも、maasaさんが21歳で渡米してアメリカでダンサーとしてキャリアをスタートさせることになったきっかけは、何だったのでしょうか。
maasa:11歳の頃からダンスを始めたんですが、私が住んでいた岡山県にはヒップホップやストリートダンスの専門のスクールがなくて。スポーツクラブにあるダンススクールに通っていました。そして高校を卒業し東京へ行ったんですが、東京ではダンスへの情熱を失ってしまって。ダンスをやめてしまったんです。その後、21歳の時に渡米するんですが、目的はダンスではなく心機一転、新しい場所で自分の人生をゼロから築くことでした。1年くらい語学学校に通っていたんですが、学校と家の往復だけで。「何か、やることはないかな」と思っていたら友達から「自分が通っているダンススタジオに一緒に行かない?」って誘われたんです。「また何かに情熱を燃やしたい」と思いながらも見つからず5年間ダンスから遠ざかっていたので、躊躇しましたがクラスに行ったら再び火が付いてしまって。日本にいた時に、テレビで見ていたアワードやツアーで活躍しているダンサー達を目の前にしたことでダンスへの情熱が戻ってきて、次はダンスを職業にしたいと思い再スタートしたんです。

――そこから、すぐに今のような活動がスタートしたのでしょうか。
maasa:いえいえ、まだまだです。5年もブランクがあったので、毎日トレーニングで怒られ、悔しくて家に帰って泣いて、また次の日もトレーニング…という毎日が続きました。それから2年ほど経ったときに、知人から「振付師の人が、明日プライベート・オーディションがあるから来てって言ってるよ」って言われて。翌日、ハリウッドのスタジオに行きました。そこにいたダンサーは20人くらいだったかな?何の説明もなく、1人ずつ部屋に呼ばれて、ダミーの男性の周りをフリースタイルで踊るように指示されたんです。控室で待っていたら、「明日から、リハーサルが始まるから」って。合格してから知ったんですが、ジャスティン・ビーバーのステージのミュージック・ビデオの為のオーディションでした。

――知らずに行ったオーディションが、ジャスティン・ビーバーだったんですね。
maasa:なのに出演できなかったんです。その仕事をするにはビザが必要で。弁護士に相談したんですが「君は、日本でのキャリアがないからビザを取得するのは難しいかもしれない」って言われてしまって。慌てて日本に帰国することになりました。でも渡米前に、東京でダンスの活動はしていなかったので、またゼロからのスタートになりました。

――そこから、どうやってキャリアを?
maasa:日本は、ダンスのオーディションがすごく少なくて。なので、まず深夜のダンスイベントに少しずつ出始めました。そうしたら、ある日オーディションを受けるチャンスがきたんです。日本で、初めて参加したのが山下智久さんのツアーです。その後、安室奈美恵さんのツアーにも参加するようになり、2回目の安室さんのツアースケジュールが決まった頃にアメリカでのビザが下りて。LAに戻ってからは、TLCやニッキー・ミナージュ、ジャスティン・ビーバーなど色んなアーティストのステージに参加できるようになりました。20歳でビザを取ってアメリカで活動している人とは違って、私はここまですごく遠回りをしてきました。ビザを取得するまでに、合計4年もの時間がかかった分、一秒も無駄にできないという気持ちが強くて。覚悟と気合いは、誰よりもあったと思います。LAに戻ってから、色んなアーティストのオーディションに合格できたのは、その経験があったからこそだと思っています。

――日本とアメリカの両方で活動してみて、違いを感じますか?
maasa:国が違っていても、ダンサーとしての悩みや夢はみんな同じです。でも、日本よりアメリカの方が、ダンサーとしてのキャリアが尊重されていると思います。ダンサーとして活躍しながら俳優として映画やドラマに出たり、CMにも出演している人は多いです。私も、いくつかCMに出演していますし、活動の幅がすごく広がりました。アメリカにも「バック・アップ・ダンサー」という言葉がありますが、私は「バック・ダンサー」という言葉が好きじゃなくて。ステージにいる時は、自分はエンタテイナーだと思っています。自分のことをアーティストの背景だって思っていたら、今のステージには立てていないんじゃないかな…。自分にしかないもの、自分にとっての強みというのは常に意識するようにしています。他のダンサーを見ていても、オーディションで何千人の中から選ばれる人というのは、自分がステージにいる意味と理由を理解している人だと思います。

――その気持ちは、活動を始めた時からありましたか。
maasa:経験を経て少しずつですね。私の経験上、こちらではアーティストは必ず、ダンサーのことをダンサーと呼ばずに、一人ずつ名前で呼びますし、お互い尊敬し合ってステージに立っています。そんな中で活動していくうちに、自分は一エンタテイナーとしてステージに立っているんだっていう気持ちが強くなりました。一緒にステージに立っている人達から日々刺激を受けて、それが自信につながってきているんだと思います。

――今後の活動について教えてください。
maasa:まずは、3年ぶりに開催されるジャスティン・ビーバーのツアーに参加します。先日、「YUMMY」のミュージック・ビデオの撮影で、皆と3年ぶりに会いました。この3年間それぞれ違う経験をし成長して、また集まってここにいるんだって思うと、すごく不思議な気分で。今、リハーサルをしているところですが、「新しくて、もっとすごいものを作るんだ」っていうポジティブなエネルギーに溢れています。

――これからの10年間、どんなことに挑戦したいですか。
maasa:5年前にアメリカでプロとして働き始めるようになってからと、今とでは大きく気持ちが変わったので、5年後、10年後にどんな気持ちで働いているかは、正直分かりません。でも、ダンスという存在が大きく変わったことは確かです。5年前、ダンスは私にとって叶えたい夢でしたが、今は自分の人生そのものだと思っています。これまでは自分の夢に一歩でも近付きたいという気持ちでやってきましたが、ここ数年は自分がやっていることを通じて、次の新しい世代の子達にどんなことを伝えられるかを考えるようになりました。日本に帰国する際に、ワークショップを開催すると、一度も会ったことがないけど私のことをSNS等で知って会いにきてくれる人がいます。会った嬉しさで涙して、「maasaさんのおかげで、人生が変わりました。私もmaasaさんみたいになりたくて、来年からLAに行きます」って言ってくれる人もいて。今のLAでの生活は、以前にも増して責任の大きい仕事をいただけるようになり、プレッシャーや葛藤など、周りの方が思うような煌びやかな世界ばかりではありません。なので、今そういう人達の言葉が私にとって、原動力になっていて。

――次の世代に伝えていける存在になりたいと。
maasa:24歳でビザのために東京に戻った時は、すぐにLAに戻れるって思い、家も荷物も全て置いたままにしてきました。それが、まさか2年もかかるなんて。私の人生って、行きあたりばったりですね(笑)。だけど、その瞬間を思い切り、それこそ死に物狂いで生きているので、後悔はありません。東京にいた2年間、ビザが取得できなくて、毎晩のようにLAに帰る夢を見て、朝起きると悔し涙で顔がボロボロだったのを、昨日のことのように思い出します。でも、絶対あきらめなかった。その時期を乗り越えたからこそ、今の自分のメンタルがあると思っています。岡山の田舎にある普通の家庭で18歳まで育った私が、今こうやって世界のステージに立って、勝負し続けている姿を見せることで、「諦めなければ、夢は叶う」ということを伝え、少しでも誰かの希望になれたらと思っています。そしてさらに、これからはもっと色々な形で、海外で活躍したいと思っている人達にとって、日本とアメリカの懸け橋になれたらと思っています。私も、これまで多くの人たちに背中を押してもらってきたので、これが自分のできる恩返しなんじゃないかなと思っています。

Text:高嶋直子


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