竹内まりやがアルバムアーティストとしてのポジションを確立した『LOVE SONGS』

2019年1月23日 / 18:00

2018年11月にデビュー40周年を迎え、映画『souvenir the movie -Mariya Takeuchi Theater Live-』が公開されたり、過去音源のリマスター盤が相次いでリリースされたりと、アニバーサリーに相応しいニュースの続く竹内まりや。今週の名盤紹介は、まさにデビュー40周年記念リマスター盤が発売されたばかりの、彼女の3rdアルバム『LOVE SONGS』を取り上げる。
恵まれた状況下で活動する アーティストのひとり

当webサイトにて連載されている『臼井孝のヒット曲探検隊~アーティスト別 ベストヒット20』。昨年11月、“デビュー40周年を迎えた竹内まりやのヒットを探る”と題した寄稿の中で著者の臼井氏がこんな文章を寄せている。

「目まぐるしく移り変わる日本の音楽界の中で、竹内まりやは最も幸運な立ち位置で活動しているアーティストの一人だろう。(中略)新作を発表しないうちに売上を大きく落としてしまう邦楽アーティストが大半の中、竹内の場合は作品が出るたびに「○年ぶりの新作!」と大きな話題となるので、やはり恵まれた状況にあるのは間違いないだろう」。

うむ。確かに。直近の竹内まりやのオリジナルアルバムは2014年の『TRAD』。これですら発売からすでに4年以上も時間が経っている。現在、彼女の新作の話は聞こえてこないので、リリースタームはさらに空きそうだ。『TRAD』の前が2007年の『Denim』。その前が2001年の『Bon Appetit!』。その前は1992年の『Quiet Life』で、さらにその前は1987年の『REQUEST』と、この30年間、次作まで6〜7年間空くことはざらであった。前例からすれば少なくともあと2〜3年待たねば『TRAD』に続く新作は届かないのではないかと思う。ファンの間でその辺は織り込み済みだろう。当然もの作りにおけるご苦労はいろいろあるだろうが、予定に追い立てられて制作するようなことはないと想像できる。“Quiet Life(=平穏な日々)”とはよく付けたものである。

無論、彼女とて最初から6〜7年間もリリースタームを空けていたわけではなく、1978年11月にシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』でデビュー以降、1981年までの間にシングル9枚、アルバム5枚を制作し、毎年コンスタントにリリースを続けていた。ただ、竹内まりやのディスコグラフィを見てみると、デビューから2年間で発表したシングルが3枚と、当時としては結構少なめであったことが若干気にかかる。これは、この時期、彼女がまだ大学生であって、学業を優先したのだろうと想像はつくが、あれこれと調べていたら興味深い記事を見つけた。5thアルバム『PORTRAIT』(1981年)まで竹内まりや作品のプロデューサーを務めた宮田茂樹氏が2017年、シングル「SEPTEMBER」の発売日である8月21日に寄せたものだ。“なにせ40年近くも前のことであるし、日記をつけていたわけでもなく、記憶も心許なくなってきている”と前置きしながらも、当時、竹内まりやというアーティストの方向性をどう見据えていたのかを、レコード会社の実態を交えながら綴っている。少し長くなるが以下に引用させていただく。

Q:「SEPTEMBER」でのA&Rの仕事とはどのようなものだったのでしょうか?

A:彼女のファースト・アルバム『BEGINNING』もセカンド・アルバム『University Street』も、大方の予想を大きく上回る実績をあげていました。ただ、シングル・ヒットにはいまだ恵まれていなかったのです。

第三作のシングル制作の段になって、「年末の賞レースに参戦する、世間受けのする曲を作れ」という会社の思惑が介入してきたのです。竹内まりやを賞レースにだなんて考えてもいませんでしたし、世間受けのする曲だなんてなんともナンセンスな話だと思いましたが、社運を賭けたかのごとき社命に逆らうことはできませんでした。当時は賞獲りレースが過熱していましたからね。まぁ、社内政治をうまく仕切るのもA&Rの資質としては欠かせないものですから、命令に従ったふりをして自分の意思を貫きましたが、、、

年末の賞レースに参戦するには遅くとも9月新譜として発売しなければなりません。ですから発売日の8月21日は自動的に決められてしまいました。

Q:9月新譜だからSEPTEMBERにしたのですか?

A:いくらなんでもそこまで安直に考えたわけではないですよ。ただ、9月は大学生達にとって特別な意味があると思ったのです。ご存知のように欧米の大学(学校)は9月から新年度が始まる。夏休みともなれば付き合っているカップルもそれぞれの故郷に帰り、離ればなれに過ごし、いろいろな夏の出来事を経験したあとで、9月になればもう一度逢える。でも9月には別れが待っているのかもしれない、そんな大学生の、今風に言えば恋バナをテーマにしようと考えました。たまたま、まりやは慶應の4年生で、2枚目のLPでもキャンパス・ライフを大きなテーマにしてましたから。

(『大人のMusicCalendar・1979年の本日リリース、竹内まりや「SEPTEMBER」制作時の話』より)
周辺スタッフが竹内まりやをアルバムアーティストとなることを期待し育てていたこと。1stアルバム『BEGINNING』も2ndアルバム『University Street』もその期待を超えて好セールスを記録したこと。しかしながら、会社の上層部はシングルヒットを求めて芸能色を打ち出そうとしたこと。直近のスタッフの寄稿だけあって、生々しくも実に面白い内容だ。

なぜレコード会社はシングルヒットを求めたのか不思議に思う人もいるだろう。当時はシングルがセールスの中心だったのだ。竹内まりやがデビューした1978年で言うと、シングルもアルバムも年間売上1位はピンク・レディーで、1位「UFO」はミリオン超え。2位「サウスポー」、3位「モンスター」とベスト3をピンク・レディーが独占しており、この2曲とも売上は100万枚を超えたと記録にある。一方、アルバムで年間首位だった『ベスト・ヒット・アルバム』は100万枚には届かなかった。そんな状況だったのだから、当時の所属レコード会社上層部がシングルヒットを狙ったのも止むなしだったとは言える。彼女と同じ年にデビューしたサザンオールスターズは、1stシングル「勝手にシンドバッド」をヒットさせたものの、一旦活動を休止した1985年までに23枚のシングルを制作、発表している。つまり、そういう時代だったのである。

その点、宮田氏も述べている通り、竹内まりやとそのスタッフは実にうまく立ち回る。“世間受けのする曲なんてナンセンス”と思いつつも、その要求に応えるべく楽曲を発注(この辺の件は先ほどの引用元に詳しいのでご興味があればそちらを是非)。1stアルバム『BEGINNING』ではオープニング曲「グッドバイ・サマーブリーズ」、2ndアルバム『University Street』では「想い出のサマーデイズ」を手掛けた林哲司に作曲を、はっぴいえんど解散後、プロの作詞家となっていた松本隆に歌詞を依頼した。シングルヒットを考えたとは言え、それまで2枚のアルバムで培ったスタイルを大きく変更する方向へ舵を切らなかったのである。そこで生まれたのが「SEPTEMBER」。見事にスマッシュヒットを記録して、この曲で彼女は1979年の『第21回日本レコード大賞』において(当時のレコード会社上層部の)悲願であった新人賞を獲得する。この楽曲は決してビッグセールスとなったわけではないが、今も9月になると街のそこかしこで聴こえてくる、彼女の代表曲のひとつであることは言うまでもない。
巧みな構成のアルバムらしい容姿

その「SEPTEMBER」と、それに続くシングル「不思議なピーチパイ」が収録されたアルバムが『LOVE SONGS』である。「不思議なピーチパイ」は化粧品のCMソングとして使用され、自身初のチャートトップ10入り。そんなシングルヒットも確実に後押ししたのだろう。『LOVE SONGS』はこれまた自身初のチャート1位を獲得した。直近のスタッフはシングル向きの曲を忌避していたようだが、シングルヒットがアルバムのセールスにもつながったのだから、賞獲りレースへの参戦もあながち間違った判断ではなかったということだろうか。

ただ、ヒットシングルが出たからといって、スタッフは(おそらく彼女自身も)アルバムアーティストとしてのスタイルを変えようとしなかった。今『LOVE SONGS』を改めて聴いてみると、その意固地とすら思える姿勢には可愛らしさを感じるところでもある。今も昔もヒットシングルはアルバムの頭といった不文律があると思うが、本作は「SEPTEMBER」も「不思議なピーチパイ」も後半に置いている。しかも、M9「SEPTEMBER」とM10「不思議なピーチパイ」とを短い曲間でつなぎ、M9の冒頭に“m-a-r-i-y-a Mariya’s Hits Parade”というジングルを入れて、2曲のシングルを別枠扱いにしている。聴く人によっては、この2曲に向けてアルバムが進んでいくようにも思えるし、両曲がボーナストラックのようにも思える、とても巧みな構成と言える。しかも、その2曲でアルバムを終えるのではなく、締め括りはM11「little lullaby」というブラックミュージックテイスト溢れるバラード。M11「little lullaby」はオープニング曲のM1「FLY AWAY」同様オール英語詞で、英語詞のM1「FLY AWAY」、M11「little lullaby」で他の9曲が包まれている構造も、玄人の仕事といった印象を強くする。また、冒頭にシングル曲は置かれていないと指摘したが、シングルを置く定番の位置であるM2には「不思議なピーチパイ」のB面「さよならの夜明け」を持ってきている辺りも心憎い。“よく分かってるなぁ”という感じである。
手慣れた作家陣と共に創り上げた3rd

収録曲を手掛けた顔触れをみても、1st、2ndとそのスタンスが変わっていなかったことがよく分かる。彼女がアマチュア時代に参加していたバンドのリーダーであった杉真理(M3「磁気嵐」)。前述した通り、彼女のデビュー時からアルバム制作に参加しているコンポーザーの林哲司(M4「象牙海岸」)。学生時代、竹内まりや杉真理と同じサークルで活動していた安部恭弘(M5「五線紙」)。それまで彼女を支えてきた作家陣は健在だ。M10「不思議なピーチパイ」の安井かずみ(作詞)&加藤和彦(作曲)のご夫婦にしても、デビューシングル「戻っておいで・私の時間」を手掛けたコンビなので、シングルヒットを狙ってどこかから流行作家を引っ張ってきたわけじゃないし、M6「LONELY WIND」を手掛けた濱田金吾にしても、彼女が得意なロッカバラードを書けるということでの起用だったのだろう。いずれにしても、決して奇を衒うことなく、竹内まりやという素材を最大限に活かせるコンポーザーを配していた。もちろん、今や公私にわたるパートナーとなっている山下達郎の存在感も忘れてはならない。

中でも白眉はM4「象牙海岸」だと思う。間奏のストリングスの壮大さに若干時代を感じなくもないが、このメロディーはどこからどう聴いても竹内まりやでしかない印象だ。1980年発売ということは、制作はおそらく1979年。今から凡そ40年前ということになるが、タイプこそ違うものの、のちに発表された彼女の代表曲「シングル・アゲイン」や「純愛ラプソディ」、「駅」に勝るとも劣らない、ツボを押さえた見事な旋律と言える。竹内まりやのベースはここで作られたのではないかと考えてしまうほど堂に入っているメロディーラインである。

かと思えば、M7「恋の終わりに」ではソウルテイストがありつつもわりとハードなロックを提示したり、M8「待っているわ」ではルーツミュージック色の濃いブルージーなサウンドを露呈したりと、竹内まりや自身が作詞作曲を手掛けた楽曲はあまり彼女のイメージにないナンバーであったりするのも面白い。この辺はアルバムならではチャレンジではあったのだろうし、他の曲で強力コンポーザー陣のバックアップがあればこそのことでもあったのだろう。それもまた竹内まりやがシングル向けのアーティストでないことを示す材料でもあったと思う。
松本隆の手腕も光るラブソング

アルバムタイトルが“LOVE SONGS”というだけあって、歌詞はラブソングばかり。今聴いても興味深いのは、やはり松本隆作品だ。

《からし色のシャツ追いながら/飛び乗った電車のドア/いけないと知りながら/ふりむけばかくれた》《街は色づいたクレヨンが/涙まで染めて走る/年上の人に逢う約束と知ってて》《セプテンバー そして九月は/セプテンバー さよならの国/ほどけかけてる 愛のむすび目/涙が木の葉になる》(M9「SEPTEMBER」)。

《からし色のシャツ》とか《街は色づいたクレヨンが/涙まで染めて走る》とか色の使い方はさすがに松本隆といった感じだし、《そして九月は/さよならの国》という表現にはプロの仕事を感じるところだ。アルバム収録曲はさらに冒険しているように思える。

《ペルーの大地と藍色の空の 隙間へ飛び立つ遊覧飛行機/神々の眠りを醒まして翼は舞う》《忘れてみせると強気の手紙を あなたに残して 旅して来たけど/言葉に尽くせない心に触れたの強く》《磁気嵐をさまよいながら 私達はいがみあっても/引き寄せ合う磁力線》《磁気嵐をさまよいながら 人の愛は宇宙の神秘/説明など出来ないわ》(M3「磁気嵐」)。

《人影もない入江/そこが二人の秘密の場所で/象牙海岸と名前までつけた/遠い夏》《あれから私時の波間を/ただ流れ木のように/ひとりで生きて来たの》《あなたのあとに愛を知っても/ただ流れ木のように/岸辺で踊っただけ》《三年をへだててあなたから来た電話/懐かしい名前に忘れているふりをした/冷たいと言われたけど/本当の気持ちもし話しても/過ぎ去った時を埋めるものはない/遠い夏… 遠い夏… 遠い夏…》(M4「象牙海岸」)。

《耳元を時の汽車が/音もなく過ぎる/ぼくの想い出の時計は/あの日を差して止まってる》《人気のないホールの/折りたたみ椅子たち/リハーサル前の暗い空気/靴音さえも途切れた休止符》《あの頃のぼくらは/美しく愚かに/愛とか平和を詞(うた)にすれば/それで世界が変わると信じてた》《10年はひと色/街影も夢色/変わらないものがあるとしたら/人を愛する魂(こころ)の 人を愛する魂(こころ)の/人を愛する魂(こころ)の五線紙さ》(M5「五線紙」)。

M3「磁気嵐」は、この話がどこへ流れていくのか分からないままに聴き進めていくと《宇宙の神秘》に辿り着き、M4「象牙海岸」は登場人物の間の何が起こったのか具体的には語られないままに《遠い夏》が回顧される。ともに不思議な余韻を残す内容である。M5「五線紙」では、おそらく竹内まりや自身とは直接関りがないであろう1960年代後半の平和運動も綴っている。また、松本作品ではないがM10「不思議なピーチパイ」も文字通り、不思議だ。

《恋は初めてじゃないけれども/恋はその度ちがうわたしをみせてくれる/不思議な 不思議な ピーチパイ》(M10「不思議なピーチパイ」)。

発売から約40年が経った今、冷静に歌詞だけ見ると、サンドウィッチマンじゃないけど、ちょっと何を言っているのか分からない。サウンド面でバラエティー豊かな作品だと言われる『LOVE SONGS』だが、実は歌詞も相当にバラエティーに富んでいる。その点にもアルバムらしいアルバムと言うことができると思う。
TEXT:帆苅智之

<収録曲>

1.FLY AWAY

2.さよならの夜明け

3.磁気嵐

4.象牙海岸

5.五線紙

6.LONELY WIND

7.恋の終わりに

8.待っているわ

9.SEPTEMBER

10.不思議なピーチパイ

11.little lullaby


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